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金 鈴 社
大正5年 自由な研究と個性の表現を目的とし、結城素明 鏑木清方 吉川霊華 平福百穂 松岡映丘に田口掬汀を加え結成。
毎月1回研究会、専門家による講演会の他、全員の都合のよい時期に同人展開催。掬汀が雑誌「中央美術」を発行していたのでこれを会の機関誌のようにして、所説を発表。 
大正6年 三越本店にて第1回展 
大正11年 第7回展後、解散 
発足の背景に、第8回文展が大観を除名、日本美術院は文展から離反、また他にも文展の現状に不満を持つ者も少なくなかった。小規模で純然たる研究団体だが、文展に対する一種の牽制運動ともいえる。